最先端モデルの採用可否を決めたのは、ベンチマークスコアではなくデータ保持ポリシーでした。AnthropicがフラッグシップモデルClaude Fable 5をリリースした翌日、Microsoftが自社従業員の利用を制限した——このニュースは、AIツール選定の判断軸が「性能」から「データの扱い」へ移っていることを、これ以上ない形で示しています。顧問先の機密を日常的に扱う税理士にとって、構造がそのまま当てはまる話です。
何が起きたのか
Anthropicは2026年6月9日、Opusの上位に位置づけられるMythosクラスの新モデルClaude Fable 5をリリースしました。The Vergeらの報道によると、Microsoftはその翌日には従業員向けの利用制限を実施しています。
理由はモデルの性能でも安全性の欠陥でもなく、Mythosクラスに適用される新しいデータ保持ポリシーです。報道を総合すると、その内容は次のとおりです。
- ユーザーのプロンプトと出力を、トラスト&セーフティ目的で30日間保持する
- 入力・出力がAnthropicの安全性分類器に利用規約違反の疑いでフラグされた場合、最大2年間保持される
これが、サードパーティAIプロバイダーに従業員データを保存させないというMicrosoft社内のゼロデータ保持(ZDR)基準と正面から衝突しました。結果として、社内向けGitHub Copilotのモデル選択肢からFable 5は外され、ZDRが適用されるOpus 4.8・Sonnet 4.6・Haiku 4.5は引き続き利用可能、という线引きになっています。
興味深いのは外部向けとの対比です。Microsoftは外部顧客に対してはGitHub CopilotとAzure Foundryを通じてFable 5をほぼ即日提供しました(オプトイン方式・デフォルト無効で、管理者の明示的な有効化が必要)。つまり「製品としては売るが、自社の機密を通すことは認めない」という判断です。なお報道では、Microsoftが前月から社内のClaude Codeライセンスを削減し、自社のCopilot CLIへ移行させていたという背景にも触れられています。

背景 ―― なぜ今なのか
第一の背景は、最上位モデルほどデータ保持の要請が強まるという構造です。能力が上がるほど悪用リスクの監視が必要になり、Anthropicは安全対策として保持期間を設定しました。つまり「高性能」と「データ最小化」は、今後もトレードオフになり得ます。最新・最強モデルを選ぶことが、データガバナンス上は後退になるケースが出てきたわけです。
第二の背景は、大企業のAI導入においてデータポリシー交渉が本丸になったことです。KPMGが27.6万人にClaudeを展開した事例のような大型導入の裏では、必ずデータの扱いに関する企業契約の交渉があります。Microsoftほどの規模と交渉力を持つ企業でも、ポリシーが合わなければ「使わない」を選ぶ——この事実は、AIベンダーと利用企業の力関係を象徴しています。
税理士の視点で読み解く
①「性能ではなくデータの扱いで決める」はそのまま事務所の選定基準になる。 税理士は税理士法38条の守秘義務を負い、違反は懲戒・刑事罰の対象です。顧問先の申告データ・財務情報をAIツールに入力するなら、そのデータが「保存されるのか・どこに・いつまで・何に使われるのか」は、機能比較の前に確認すべき前提条件です。Microsoftの判断は、この優先順位を世界最大級のIT企業が実践して見せた事例として引用できます。
②「フラグされたら最大2年」の不透明さに注目したい。 30日保持よりも実務上重いのは、自動分類器がフラグした場合の長期保持です。何がフラグされるかを利用者は事前に知り得ず、コントロールもできません。機密データを扱う業務では「例外的に長期保持される経路が存在するか」まで規約を読み込む必要があります。多くのベンダーはAPI・エンタープライズ契約でZDRや保持期間短縮のオプションを提供しており、同じモデルでも契約形態によってデータの扱いは全く違う——ここが実務上いちばん重要な知識です。
③ポリシーは「モデル更新のたびに変わり得る」前提で運用を組む。 今回の保持ポリシーは新モデルの投入とセットで変わりました。一度確認した規約が永続する保証はなく、プレビューなしの即日展開が標準化しつつある今、利用者が気づかないうちに条件が変わるリスクは増しています。新モデル・新プランへの切り替え時に規約差分を確認する工程を、事務所の標準手順に入れておくべきです。
④中小事務所への実践的な読み替え。 Microsoftのように自前のZDR基準を持つのは大げさに見えますが、やっていることは「入力してよいデータの線引きを明文化し、条件を満たさないツールをブロックする」だけです。これは数人の事務所でも1枚のルール表で実現できます。「なんとなく便利だから使う」から「線引きがあるから安心して使える」への移行が、AI活用を進めるための土台になります。
実務家のアクション
- 利用中のAIツールのデータ保持条件を確認する:保持期間・学習利用の有無・例外的な長期保持の条件を、プラン別に一覧化する
- 入力してよい情報の線引きを明文化する:顧問先名・数値・マイナンバー等の扱いをレベル分けし、所内で共有する
- エンタープライズ契約・ZDRオプションの有無を確認する:本格利用するツールは、消費者向けプランではなく事業者向け契約で
- モデル・プラン変更時の規約差分チェックを手順化する:「新しいモデルが出たら性能より先にポリシーを見る」を習慣に
- 顧問先にも同じ観点を提供する:顧問先が業務でAIを使い始めたときのデータガバナンス助言は、士業の新しい付加価値になる